
カーニバルの季節がやってきた。(イタリア語ではカルネヴァーレ)
パスクア(復活祭)の46日前からパスクア前日までの期間、食事の節制や祝宴の自粛の時期にあたる“四旬節”の前に、祝宴をすることがその意味。
その語源はラテン語である“カルネcarne(=肉)・ヴァーレvale(さらば、さようなら)”からきている。
厳粛なカトリック教徒というのは、私の周囲には一人もいないので、この季節に本当に節制した食事をしているのかは分からないが。
ナターレが終わったら次にくるのがこのカルネヴァーレで、そしてパスクア、と続く。なんだかいつも祭りごとだらけのような気分。しかし、こうして毎年同じように過ぎていく行事のなかで季節の移り変わりも肌で感じるものだ。
カルネヴァーレはヴェネツィアの仮装がここらへんでは大変に有名なものだが、もちろんこの行事は本来“見せる”ためのイベントではなく、宗教に基づいた人々の生活のなかの行事のひとつ。あちらことらでカルネヴァーレの行事も行われるし、それにともなう食べ物もあるし、大人も子供も仮装をするなどして各々が季節の行事を楽しむ。この季節の伝統的なドルチェなどももう年明けからはすでにお菓子やさんやパン屋では見かけるようになってもいる。
一般的には一年のうちで最も寒い時期にあたるこの季節、その寒さのなかにもなんとなく季節が動いていることが感じられる時期ということもあり、そんな春の訪れに対する喜びも相まって概して明るいフェスタになるのか。
子供たちはこのパスクアの時期には何かイベントがあるごとにコリアンドリcoriandoliと呼ばれる、色紙を小さく切り刻んだものを投げつけあって楽しむのが習慣。
いや、特にイベントなどなくても子供の集まる空間は、なぜかコリアンドリ投げ場と化して頭やらダウンやコートの中までいっぱいにして遊んでいる。


パドヴァでもカルネヴァーレのイベントは各種あるが、この日はカフェ・ペドロッキ前にて仮装したダンスクラブの一団が優雅に踊りを披露。
こういう季節の光景もまた追々と。。。
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パドヴァの中心地、ピアッツァ・デッレ・エルベPiazza delle Erbeに毎朝並ぶメルカート。
野菜や果物はもちろん、乾物類も並ぶ。そのうちの一軒がここ。

数え切れない種類の豆が麻袋に入って並んでいるのは圧巻。相対的にはインゲン豆の種類が大変に多い。白いインゲンもその大きさや形などで微妙に違う。ここらへんでは、ボルロッティborlottiやそれよりも大ぶりなラモンlamonという赤(紫)と白のまだら模様のものの使用頻度が高い。茹でてコントルノに、ミネストラの具に、そしてパスタなどに使う。
そしてチェーチceci(ヒヨコ豆)やファーヴェfave(ソラ豆)なども大変に親しみのあるもの。小豆なども置いてある。
実は私は豆に関してはまた別に通常使う店があるのだが、ここの米類はまた見ていておもしろいもの。豆同様、米も多くの種類を取り扱っており、イタリア米からアジアの米まで種類はかなり豊富。
そのなかでも楽しいのが、具材入りのリゾット用の米類。フリーズドライされた具(野菜、キノコ類、魚介類、トリュフなども)と米、調味料が混ぜ込んであり、鍋でスープまたはお湯を足しながらリゾットを作る要領で炊いていくだけで美味しいリゾットが完成する。
彩りも鮮やか、ピンク色をした木イチゴのものや、サフラン色をした魚介の具材入りのもの、トリュフ入りのものもあるので、米売り場に近づくと強烈なトリュフの臭いを筆頭に様々な匂いがする。


計り売りなので、一人または二人分くらいからの少量を袋詰めしてくれるので、パドヴァに遊びに来てくれる知人などを連れていくと、かなりの確率でお土産用に購入する。選ぶのもとても楽しい。
ピアッツァ・エルベ露店北側
営業時間;月~金;8.30頃~13.00頃、土8.30頃~19.00頃
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冬の代表的な野菜といえば、カルチョフィ。そのゴツゴツとした外見はこれが野菜なの?と疑いたくなるような剛健さ。こういう見た目の悪い食材を見ると、始めに食した人はどんな思いだったのだろうか、といつも思うのだが。。。
カルチョフィは、食用として栽培された野菜のなかでも最も歴史のある野菜とされている。古代ローマ、ギリシャ人は、その栽培のために畑に灰を原料とする肥料を施していたという。“施肥する”という意をもつ“チネーレcinere(=灰)”という動詞はイタリア語の原語、ラテン語からきているものが現在でも使われている。
しかし、カルチョフィが人間の口に入るきっかけは食用ではなく薬用の目的から。
現在でも薬理学や薬用植物療法などの観点からは大変に注目されているものであり、その作用としては、胆汁排出の促進、利尿作用など肝庇護剤的な有効性が注目されてきた。
最近では、さらに研究が進み、コレステロールの起因である内因性トリグリセリンを減少、排出し、抗酸化作用のある食品としての認知が高まっているよう。
イタリアでは15世紀にはシチリアを始まりに、トスカーナなどで食用とされていたとされている。フィレンツェのカテリーナ・デ・メディチCaterina d’Mediciもフランスに嫁入後にも、このカルチョフィの芯の中心部を好んで食した。
さて、現在イタリアで栽培されるカルチョフィの多くはラツィオ州、プーリア州。食材図典を見ると、さらに品種が区別されているようだが、フランス、スペイン、イタリア内でもシチリア、サルデーニャ、ローマ、トスカーナなどの土地由来の名がついたものなどがあり、それぞれに形状が異なる。
ちなみに品種の名にもつくように、カルチョフィの外側の葉(ガク?)の黒っぽい色はこちらではヴィオラViola(=紫)色。確かに紫色だが、日本で名付けたらこれを紫色と表記するかなぁ。
メルカートで見かけるこれらはどれだけの品種があるのか私には正確には解らないが、大まかに見て2種類。

ラツィオのものはまんまるとして大きく葉のつくりが細かくみっちりと球をつくりあげている。この大きなボール状のこれはマンメ・ロマーネMamme Romaneとよく表記されている。オーブンで焼いて、または大きな鍋で茹でて食べる。今の時期ローマ以南の田舎道を車で行くと、カルチョフィの大きな鍋を置いたカルチョフィの屋台に出くわすこともある。

これよりひと周り、ふた周り小さな形のものは一般的なもの。現在では10本で6~8ユーロぐらい。
周りの固い部分を取り除き、茹でて、もしくはニンニクとアンチョビまたはパンチェッタなどを加えて煮たりする。周りの固いガクとは想像もつかないくらい中心の芯の部分はホッコリと柔らかく、そして独特な風味。ちょっと舌にピリリとくる感じがなんとも美味い。
我が家では、義母のやり方で。
中の芯部分をくりぬき、そこに少々のニンニク、プレッツェーモロ(パセリ)、塩、オイル、コショウ少々を合わせる。
くりぬいた部分にこれらを詰め、油をしいた鍋でこれらの表面を焼きつけてからかぶるまでの水を加え、水分がなくなるまで煮る。
塩加減や油の加減やらで作るたびに「やっぱりマンマは(←ここでいう“マンマ”はもちろん私のことではない)カルチョフィの料理の腕はすごいよね。」という夫。わ!また出た!!このセリフ!!…
カルチョッフィが食卓に上る度に食卓は険悪ムードになるのだが、近頃ちょっとそのセリフが少なくなってきたのは、私の腕が上がったのか、それとも機嫌を損ねないようにとこのひと言をグッと胸の内に抑えているのか。。。
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数年前から工事の続いていたパドヴァのスポーツ施設、パラスポーツPalasportがようやく完成、22日の正午開幕式であるイナグラツィオーネinaugurazioneが執り行われた。

市長をはじめ関係機関(者)各位が集まり、12.00のテープカットで一般公開(マスコミ及び関係者)が始まる。テープカット時には、必ずある一定時間は神のご加護に対する感謝の意を称するが通常。皆が胸の前で十字をきる姿をみていると、キリスト教の国であることを改めて実感。
さて、黒いすっきりとシンプルな外観。内部平面(木製部分)の床の広さは42×32m。観客席は4000席、アレーナ部分は7-800の臨時席を設けることが可能。
ちょっとした“町の体育館”的な前体育館とは大きく異なり、コートとスタンドの物理的な距離感は拭えないが、それらの間を段差が設けられているわけでもなく、開放的な印象。客席もゆったり、四方が広く見渡せるような空間のある造りながら会場内全体が一体感があるよう。

体育館の持ち主はパドヴァ市の管轄下、地元バレーボールチームであるPallavolo Padovaだが、バスケット、ハンドボール、5人制サッカーなどの試合、そしてコンサートや様々なイベントもここで積極的に行われる。
それもそのはず、建築に500万ユーロを投資(地元金融機関、パドヴァ市、パドヴァ県)しているのだから、有効活用しないことには採算が合わない。
ここをホームとして使うスポーツのチームにはチームの更なるレベルアップを求める、とはパドヴァ市のスポーツ関係の責任者の声。認知度をさらに高めて観客動員をアップしたいとの目算。
当日は最低-5℃、最高3℃の寒さ。テープカットまでのインタビューやら前儀は寒々とした屋外で執り行われ、もうだめだ~、帰っちゃおうかな~~と思っていたらようやく中へ入ることができた。そして同夜21.30からはFrancesco Gucciniのコンサートが行われた。
場所はパドヴァ市北東部の工業地帯。閑散とした地区にたつ黒い大きな四角い巨象。
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パドヴァの古跡として価値ある外壁・門及び橋について。個人的に最も美しいと思っている橋(ポンテ)と門(ポルタ)がここ、ポンテ/ポルタ・モリーノ。
そして最も歴史もある。
建築が始まったのは1195年。外壁は防御の意から河沿いに築かれているが、それを外部と繋ぐ道としてできた橋。
この橋の建築が始まったのが1195年、完成は1210年とされている。パドヴァの町を囲んだ外壁の古いもの、つまり古代ローマ時代の街を囲んでいる壁の内側へとつながっている。同橋及び門は同時代のものとしてはパドヴァのなかでも最も保存状態が良いものとされている。

この先(南側…チェントロ=旧市街…方面)はドゥオーモへと続く道となっているから、ここを起点に南北を結ぶ要所として、当時の重要な道のひとつとなった。イタリアの他都市と同様、町の歴史はドゥオーモを中心に発達する。
その時代から続く、現パドヴァの形成に大きく影響している2代領主、エッツェリニアーナezzelinianaとカッラレーゼcarrarese、そして1500年代に訪れたヴェネツィア共和国時代にも重要な要所として利用されていた。
その美しい形状の特徴はローマ風の半円形のアーチ型。何度も改築、改修されてきたが、原材料となる石材もオリジナルのものが残されている。ただし、アーチ形成部分は20年ほど前の改修されたもの。色も素材も変わってしまっているので、見た目に少々残念な姿ではある。昼間よりも夜、イタリア特有の薄暗いライトに照らされてボーッと浮かび上がる姿のほうが印象に残るかもしれない。
そして、中心に高く積み上げられた塔状の構造。この塔の上部では、1610年ガリレオにより最初の4つの木星の衛星が発見がされたという、歴史的場所でもある。
この門からドゥオーモに向け、パドヴァの町のなかでもローマ時代の古い通りであるVia Dante(ダンテ通り)が始まる。皮製品、靴の職人たちの集まる職人通りでもあった。
現在はここを車もバスも行き交う。橋の上から眺める河、静かな水の流れだけは変わらずにいるのかもしれない。
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