パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



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パドヴァのゲットーと花市”Il Ghetto si mostra.Fiorir di primavera” :: 2010/03/30(Tue)

パドヴァのチェントロ、ピアッツァ・デッレ・エルベpiazza delle erbeのすぐ南側一帯は、ゲットー地区となっている。ヘブライ人が強制的に居住地を指定された地区だ。

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パドヴァヘブライ人が集まる始まりは、12世紀のこと。大学がこの地に始まったことを契機に、多くの外国人と同様にヘブライ人の学生もここに。宗教、思想、文化などが違う多国籍の学生たちに混じり、ユダヤ人がこの地で力をつけてきたのは、彼らの持つ商売魂、そして能力。金融業(質屋や高利貸し)などで財力を持ち、生活の基盤を築いてきた。これは後にユダヤ人迫害の要因となるのだが。

パドヴァに集まったヘブライ人は、主にドイツ系、スペイン系に分かれ、現在のゲットー地区とは別の場所にそれぞれが居住地を指定されていた。
それまでに蓄えてきた所有地、財産をすべて没収されたイタリア国内のヘブライ人の一部がパドヴァに送られてきた。スペイン系はおもにローマ周辺、トスカーナ、ヴェベツィア共和国から、ドイツ系はトレヴィーゾ周辺から。15世紀のこと。その後、ヴェネツィア共和国の勢力の拡張に対抗したカンブレー同盟lega di Cambrai(新聖ローマ帝国とフランスの同命)の争い後、1513年にはパドヴァのユダヤ人は現在のゲットーの場所に全て集められた。

同地区は4つの門により外部とを区切られ、夜は鍵をかけられて出入りは禁止されていたという。

17世紀には、イタリアじゅう各地において、ほぼ全てのユダヤ人が各地のゲットー内でしか生活することを認められなくなっている。4つの門を持つパドヴァのゲットーは、比較的大きな地区だったようだ。

ゲットー地区内では、教会や学校が建てられ、文化も発達したことはよく知られているが、ここも同様。キリスト教徒には禁止されていた、金融業で富を儲けた彼ら。当時は裕福なヴェネツィア共和国の貴族たちが多くいた土地柄だけに、彼らの請け負うこの分野において経済的にも潤っていた。

現在でもシナゴーク(ヘブライ人教会)跡があり、通りも細く建て込んでいる風景がみられる。ちなみにシナゴークは1545年に建てられたものがあったのだが、1943年に放火に会ったため、現在残るものは、その後1998年に新たに建てられたもの。
この地区は日中は静かだが、一帯はエノテカやらオステリア、バールなどがたくさんあり、特に夏場の夜は住民から道端でアルコールを飲む若者のマナーについて苦情が絶えない場所。

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先日は、このゲットーで春を呼ぶ花の展示会・即売会が開かれ、天気の良さも合わせて多くの人が足を運んだ。
チェントロのなかでも特に好きな場所のひとつ。

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牛乳販売機 :: 2010/03/29(Mon)

最近、けっこう見かける牛乳の販売機。私の家からほど近い場所にも、最近このスタンドができた。

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道端に設置されたスタンドに、酪農家が直接牛乳を運んでくる。利用者は、販売機内に設置されているボトルを購入してセット。1リットルまたは1/2リットルを選んで新鮮な牛乳が注がれたボトルを持ちかえる、ということになる。

料金は 1リットル1ユーロ、通常市販されているものよりもお得感あり。ボトルはプラスチックが0.3ユーロ、ガラスが0.8ユーロ。

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搾乳した日時とここに配達された日と時刻が明確に表示された紙が貼られており、賞味期限は生で飲むなら3日以内、加熱するなら5日以内としている。

が、以前、このタイプの牛乳の販売機から買った牛乳を飲んだ子供が食中毒のような症状を出した例が2件続いた。ということもあり、特に子供には、必ず一度沸騰させたものを飲ませるように、と注意書きがされるようになった。

実際に飲んでみると、濃厚で美味しい。イタリアで買う牛乳は、薄かったり粉ミルクを溶かしたような味がして、今まであまり満足がいかなかったのだが。これはなかなかよさそう。


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天秤屋 :: 2010/03/27(Sat)

ずっと前から気になっている店がある。チェントロのゲットー地区内にある天秤ばかりが並ぶ店。
ゲットー地区は、チェントロのチェントロにあるのだが、昼間はとても静か。石畳がその静けさにさらに拍車をかけているかのように感じる。
そんな小さな通りにあるこの一軒。

“店”というかそれらが全て売り物ではないのが判るのは、外から見える天秤たちは綺麗にディスプレイされているものではない。とはいうものの、なんとなく通りに向けて様々な天秤が置かれている。外から見えるものは、とりあえずは売り物なのだろうけれど。。。。

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ひょんなことで店主と知り合う。140年も続く天秤の職人さんの家系だという。現在の店主はフランチェスコ。店内を写真撮ってもいい?と尋ねたら、撮るようなところじゃないからだめ~。と断られる。もちろん彼の写真も撮れない。

さらには“店”というよりは作業場兼倉庫。中には大小様々な天秤が並んで(置かれて)いる。これらはいつから置かれて(売られて)いるのか判らない。埃をかぶっていたりもする。現在、彼の仕事は修理業となっているので、置かれているものは売り先が現れるのかはかなりの低確率のような気もする。もしくはここで永久待機なのかもしれない。

外から見ても看板もなく、ショーウインドウのガラスもだいぶ汚れているので、開いているのか閉まっているのかもよく判らず、人の気配もあまり感じない。

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が、味のある一軒。だから気になる一軒。

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ブルスカンドリbruscandoli :: 2010/03/26(Fri)

春先に出てくるヴェネトならではの食材が、このブルスカンドリ。野生のホップの新芽で、自然の残る山合いなどに、また行く途中に発見する。地面からニョキニョキ生えていて、日本でいったら春先に収穫する山菜のような感覚か。形もツクシかなにかに似ている。というより、野生のアスパラのほうが近いかな。

これを春先に摘み取らないでおくと、1年間で5-6mも伸びる。雌花は、円錐状のコーンのよう、糸が円錐に絡みついているような変わった形をしており、黄色い花が咲く。これは、薬草学的には、眠気覚ましに効くらしい。

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こののブルスカンドリ、町場のメルカートには、3月後半から5月くらいまでお目見えする。今が旬の始まり。
束になって輪ゴムにとめられているそれらはそれなりの値がつけられているが、実はちょっと車を走らせるとそこここで生えている。

料理としては、代表的なのがリゾット。ちょっぴりほろ苦さが春の味。他はフリットにしたりミネストラ(スープ)に入れたり、パスタに、など。茹でてそのままを、美味いオイルをかけていただくだけで、旬の御馳走にもなる。アスパラと同様、卵を添えたりしても良い。

知人のおばあちゃんは、このブルスカンドリをこの時期に大量に摘みにいき、茹でて少々のニンニクのみじん切りとともにアチェット(酢)とオイルに漬けてビン詰めにするのだとか。昨年このおすそわけをいただいたが、ほろ苦さが甘さに代わり、なんとも美味。パンにマリネしたオイルと酢の調味液を浸しながら食べるとワインが進むもの。


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パドヴァのドゥオーモDuomo(司教座教会堂) :: 2010/03/25(Thu)

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パドヴァのドゥオーモは(パドヴァだけではなく、イタリアの他地でもほぼ同様だろうが)、宗教関連の建造物としては最も古いもので、初期キリスト教時代(紀元1世紀中頃)の司教座大聖堂としての起源をもつ。

1075年に新たに大聖堂として建築されたのだが、1117年の地震により被害を受けた。現在の建物は、16世紀から18世紀のもの。ミケランジェロの名による公募、公告により建築家及び設計を募った。が、実際は、オリジナルを復元する仕事としてイストリア(現在のクロアチア北西部の三角地帯)出身のアンドレア・ダ・ヴァッレAndrea da Valle、アゴスティーノ・リゲッティAgostino Righettiにそれを委ねていた。

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1754年にヴェネツィアの建築家であるジローラモ・フリジメリカGirolamo Frigimelicaによる、現存の正面に3つの門(扉)を持つ設計に。彼によりバラ窓(円花窓)といわれるステンドグラスが植え付けられた聖堂のシンボルともいえる窓も設計されている。…のだが、クーポラも含め実は彼の設計通りの仕事は終わっておらず、しかも第一次大戦中の爆撃も受けているので、未だ未完成のままだという。

ドゥオーモ右隣に隣接するバッティステロbattistero(礼拝堂)は12世紀後半に建築されたもの。

現在のような形としては1260年、序階されたのが1281年のこと。内部は小さいが、クーポラ面も含め、壁面いっぱいに埋められた創世記を描いたフレスコ画が美しい。1375-78年のもの。所々に時の経過によりはげ落ちたりする部分もあるが、一部修復されながらもそのまま手をつけずにあるのだが、この時代のフレスコ画の保存状態としては、大変に良好なもの。
フレスコは、パドヴァの貴族、カッラレージCarraregi家のフランチェスコ・ダ・カッラッーラFrancesco da Carraraにより委託されたジュスト・デ・メナブオイGiusto de’Menabuoiによるもの。

大聖堂裏側には詩人フランチェスコ・ペトラルカFrancesco Petrarcaが一時居住していたというカノニコがある。
そこに続く通りも静かで風情があって美しい。

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