パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



パドヴァのエルベ広場 Piazza delle Erbe :: 2011/07/30(Sat)

パドヴァの中心の中心、3つある代表的な広場のこれが3つめ。

ラジョーネ宮(パラッツォ・デッラ・ラジョーネPalazo della Ragione)の南側に位置する広場。日曜日を除く毎朝、生鮮品のメルカートがたち、ラジョーネ宮下商店街(ソット・サローネ)とそこを挟んだ北側のフルッティ広場とともに、チェントロのなかでも非常に活気のある場所だ。

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古くは、“ビアーダ広場”(広場近くの通りの名前)とか“ヴィーノ(ワイン)広場”などと呼ばれた経緯もあるが、現在の“エルバ(野菜)広場”とともに、同広場での食品市場に由来するもの。その昔、ここでワインと日用鉄製品を中心に野菜、果物、穀物、豆類などの食品が売られるまさしく市民のための市場、台所としての歴史を持つ。

広場は町の中心のシンボルであるラジョーネ宮に面しており、同建物の出入り口となる階段は広場へと通ずる。東西に設置された階段は、“鉄職人の階段(スカーラ・ディ・フェッリ・ラヴォラーティ)”そして“ワインの階段(スカーラ・デル・ヴィーノ)”と呼ばれている。これらも古くからの同広場の様子を示すものと判る。

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そしてここではその昔、パリオ(競馬レース)が開かれていた。勝者の商品には、一位は絹製のパリオ(旗)、2位はガチョウ、3位はフクロウだったとか。19世紀に入るとヴェネツィア共和国での同広場に建つラジョーネ宮のバルコニーから同広場ではロット(組み合わせ数字による賭け)はヴェネツィア共和国下の制のもとに行われ、1月1日の賭けには、2輪の手押し車などが景品になるなど、公式でしかも大がかりな賭け事でもあったようだ。

現在でも毎朝、野菜や果物、乾物、花などの屋台が広場一面を埋め尽くし、ラジョーネ宮下のポルティチ(柱廊)の商店、バールなどには多くの人々が行き交い、集まる場所となっている。


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ヴェネツィアの古本屋 :: 2011/07/26(Tue)

H.I.Sイタリア支店 旅ブログ にヴェネツィアの古本屋について書いてます。

http://ameblo.jp/his-rome/

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ピアッツァ・デイ・フルッティ(フルッティ広場)Piazza dei Frutti :: 2011/07/22(Fri)

パドヴァのチェントロ・ストーリコ(歴史的中心区)の中核となるレラジョーネ宮(パラッツォ・デッラ・ラジョーネPalazzo della Ragione)の北側にあたる広場。

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その昔、この広場はの呼称は”ペローニオPeronio”。広場に現在もある柱付近にて、靴や長靴を売る店があり、ラテン語でこれら履物のことを“ペロネスperones”と呼んでいたことから、とされている。

ちなみにこの柱、広場北側中央から続くブレダ通りVia Bredaから広場を見るポイントがいい。ラジョーネ宮を背景にその柱の全容が見て取れる。

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柱頭部はイストリア(現在のトリエステからクロアチアに続く三角地帯)の石を使用。三角に突き出た柱頭とその下に平行六面体をとる特徴のある形。そこには十字を配した楯が描かれており、これはパドヴァの紋章とされ、パドヴァの最初の司教聖プロスドーチモS.Prosdocimoを表している。そしてそのすぐ下、斜め方向に円柱に沿っている面、それらの各面にはカボチャ、パーム、メーロコトーニャ(マルメロ)、ナシの木を模した彫刻が添えられている。

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広場は毎年5月の第一木曜日に“ゾイア・マーサ(ジョヴェディ・マッジョ)”いわゆる“5月の木曜祭り”古着・古物市が開かれた。ここで古物商または盗品の流れ品などを売る店がたち、大道芸などの見せ物やアルベロ・デイ・クッカーナというゲームが楽しまれた。そのゲームの勝利者にはカバンの様に型どられた大理石と手袋が贈られたことから、この祭りを“フェスタ・デッラ・ボルサ(鞄の祭り)”と呼ばれていた。

※アルベロ・ディ・クッカーナ(直訳;桃源郷の木)=イタリア及びヨーロッパ各地の祭りなどで見られる、高い棒の先のもの(その昔はその多くがプロシュットや食べものだった。現在は旗などを頂点に掲げる場合が多い)を取った者がその年の幸運を得るというゲーム。もともとは、新しい季節が始まるという意の5月の祭りの恒例行事。

町の中核となる広場であったという要素から、ここでは伝統的に魚や卵、家禽類、野菜やポルケッタや牛のスネ肉を茹でたものなどの肉総菜なども売られており、常に活気のある場所であったことは12世紀後半の頃と現代ともに変わりはない。
現在でも、ここでは野菜から雑貨のメルカートがたち、その昔同様の木製の荷車をそのまま露店にする風景なども見られる。

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パドヴァのシニョーリ広場Piazza dei Signoli :: 2011/07/20(Wed)

ピアッツァ・ディ・シニョーリPiazza dei Signoriはパドヴァのチェントロ、町のシンボルともいえる広場のひとつ。日中は雑貨などを売るメルカートが、夏場の夕刻時には、広場周辺のバール・エノテカがテーブルを一斉に出す、パドヴァーニの集まる賑やかな広場でもある。

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同広場名の“シニョーリ”とは、パドヴァの歴史・文化が目覚ましく発展した1318-1405年、パドヴァの領主であったカッラレージ家を指している。ここに住まいを構えていたためだ。

同広場は一度は『シニョーリ広場Piazza dei Signori』と呼ばれたものの、現在までに何度かその呼び名が変わっている。カッラレージ家統治の崩壊後、廃墟となった王宮を指して『デソラツィオーネdesolazione(荒廃した)広場』へ、その後1848年5月にリソルジメント(統一)運動に活動した愛国家、アレッサンドロ・ガヴァッツィAlessandro Gavazziによる、ヴェネトのオーストリア政権下から独立するためのイタリア王国建国に向けての大演説のあったことから『トリオンフィTrifonfi(勝利の)広場』へ。

そしてその同時期、ローマ教皇の名を冠した『ピオ4世Pio IX(ローマ法王ピウス9世)広場』などとも。ただし、同教皇は、北イタリアを支配していたオーストリア帝国を支持していたため、この名を同広場に命名したのは、教皇に対する反発と皮肉、そしてイタリア王国建国への歓びや意思を表していたのだと思われる。
建国後は一時、『イタリア統一広場Piazza Unità d'Italia』とも呼ばれたが、その後現名(元名?)に戻っている。もともと領主を畏敬しての名称であったからか、それぞれの時代のパドヴァの政治的要素の絡んだ名の遍歴を経ているようだ。

1500年代には、ここで馬上競技や、カーニヴァルの期間中に闘牛なども行われたとされている。

同広場は、東側をサン・クレメンテ教会Chiesa di S.Clemente、南西側はパラッツォ・カピタニオPalazzo del Capitanio、西側をこの広場のシンボルとなる時計塔(トッレ・デッロロッジョTorre dell’Orologio)に囲まれている。

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時計台の下のアーチをくぐると小広場(カピタニアート小広場)があり、ここがかつてのカッラーラ家の王宮となっていた場所。現在はこの場所にある建物はパドヴァ大学の文学部、哲学部のキャンパスとなっている。


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ミンチョ川のほとりのボルゴBorghetto di valeggio sul Mincio :: 2011/07/19(Tue)

I Borghi piu’ dell’Italia(イタリアで最も美しい場所)という団体があり、イタリア各地の美しい場所をその歴史、文化、環境などから各州ごとに小さな町がスポットをあててノミネートされている。2001年に発足したこのクラブは、イタリア国内外への自然や観光のガイドとして、ガイド本も発行しているが、ヴェネト州では4つの場所が指定されている。イタリア国内をみると最高がウンブリア州の22か所なのを見ると、ヴェネトの4か所というのは、あまり名誉的な数ではないのだが。

そのうちのひとつがこのボルゲットという場所。ガルダ湖の南端、ペスキエラからマントヴァ方面に内陸に入るヴェローナ県のはずれ、ミンチョMincio川のほとりにある、小さな静かな場所。ボルゲットという言葉自体は小さな村、という意味なので、ボルゲット・スル・ミンチョBorghetto sul Mincioとかヴェレッジョ・スル・ミンチョValeggio sul Mincioというように、ミンチョ川のほとりの村と言われるようだ。

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町は川を中心に古くからの遺跡を残しつつ美しく整備されている。ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティがロンバルディアからヴェローナにまで勢力をのばした際に、この町に築いたダム(通称ヴィスコンテオ橋Ponte Visconteo)は、このミンチョ川に架かる、この町のシンボルとなる橋。1393-1395年にできた橋で長さ650m、幅25m。城を含んだ町を囲む城壁はこの橋とともに16㎞にも及ぶ。

現在は、ガルダ湖への避暑客や近くにキャンプ場、この川沿い約30㎞の自転車用の道も整備されていたりして、多くの観光客が足を運ぶ場所。外国客はドイツ人やオランダ人が多い。

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ちなみにこの町の中世時代は、ヴェローナのスカリエーリScaglieri家の領地で、ミラノ公領地へとなった後、1400年代にはヴェネツィア共和国下。町の至るところにライオンが刻まれているのは、ヴェネトの他町と同様。その後はヴェネツィアの歴史と同様、ナポレオン率いるフランス軍→オーストリア領へ、と続く。

ヴェローナとはいえど、ロンバルディアとエミリア・ロマーニャとの境にある地域の特色、川沿いという地形から、川魚やウナギなどがレストランメニューに登場するここの土地料理は私の住むパドヴァとも少し様子が違う。

ここの名物はカボチャの詰め物をしたトルテッリ。パスタの中身のカボチャは、ちょっとほろ苦いアマレッティとピリリと辛くてあおして甘いモスタルダが入った複雑かつ美味。パスタ生地は極薄く仕上がっていて、とかしバターで和えた極上の一皿。

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これがこの地方のモスタルダ。モスタルダも地域によって仕上がりが違うが、ここのはマントヴァ風。

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合わせたワインは冷たく冷やしたクストーザCustoza。

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