パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



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バーカロ・フェッロのチケティレッスン :: 2013/08/25(Sun)

ヴェネツィアならではのオステリアのスタイルとして、人気のあるバーカロ。新しいお店が増えたりしてそこに置いてあるメニューも今どきになりつつあり、本来のバーカロのスタイルはほとんどもう存在しないのだとか。

今は店の入口にあるカウンターに並ぶつまみを食べながらグラスワインを飲む、というのがそれらしい、とされてはいる。が、本来のそれは、露店にて紙に包まれたフライを片手に、店ではワインを…というのが通常。つまみも現在はほとんど見かけることも少なくなった臓物関係も多く、パンにのっけたバッカラ・マンテカートなんて…という具合。

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とは言うものの、昔があって、今がある。店だって営業していくためには、姿・スタイルは変わるだろうし、使う側だってそれは同じこと。

いつもお世話になっている、ヴェネツィア料理にかんしてだったらいつでも喜んで即答!のマンマ・ロッサーナ宅にてバーカロメニューを中心としたレッスン催行。

今回の参加者は、4年前にもパドヴァに来てくれたまきちゃん。

4年前、これからバーカロを立ち上げるんです、という意気込みで参加してくれたのが縁。その後、無事にお店を開き、店も落ち着いてきてた頃を見計らっての再ヴェネツィア訪。とっても嬉しいことに、またの再会となりました。

お料理しながら、そろそろね…と言いながら、プロセッコを開ける…これが楽しい。

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お腹がすいちゃうだろうから、となんとも気の効いたロッサーナの提案は、ソプレッサとプロシュット、そして自前の春の白アスパラのオイル漬け。後でお腹、はちきれるんだけど。

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レッスン内容は、定番メニューを。

肉のポルペッテ。

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トンノのポルペッテ。

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バッカラのフリッテッレ。

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タコのインサラータ。

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そして、ドルチェには、古パンを使うピンツァいわくトルタ・ニコロッタ。

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リクエストにて、骨つき豚肉のポレンタ仕立て。

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次々とできあがるメニューをテーブルに並べる。試食はセルフサービスにて。

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楽しくて懐かしくて嬉しい数時間となった。

平日にて、旦那さんのダニエレ氏は昼時のみ参戦。居るとちょっとやかましいが、いないとこれまた寂しい。まきちゃんのレッスン時には、いてくれたほうがよかったかな。

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今回参加のまきちゃんのお店、とっても素敵なお店で、ロッサーナとダニエレも持参してくれたお店の写真を見て興奮するぐらい、ヴェネツィアの香りのするバーカロです。


Bacaro FERRO
東京都杉並区久我山2-25-19
富士見ヶ丘マンション2F
Tel;03.6322.7120
営業時間 18-24時、日・祝日18-23時
http://bferro.exblog.jp/
井の頭線、富士見が丘駅前です。


こちらにて、上記の料理が味わえるかも?!

ちなみにFerro(フェッロ)は、イタリア語で鉄を意味しますが、ここでは、ゴンドラの後部についている鉄製の飾り(↓)を意味しています。この店名を見て、お二人さんもまたまた大興奮。

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  1. Corso di cucina/料理教室
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アジアーゴ丘陵 Altopiano di Asiago :: 2013/08/20(Tue)

パドヴァから北に約70㎞、アジアーゴ丘陵へ。

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高速で北上して、さらに山道をぐんぐん上がると車窓から感じる空気もなんとなく爽やか。周囲の風景もいい感じになってきた。緑が鮮やか。そして、あっちもこっちも牛の放牧場。

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道路は牛のほうが優先で、車は牛の動きに合わせてゆっくりゆっくり。

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標高約1500m。冬はスキー場となるここら辺は、夏は避暑と山歩きの人たちでにぎわう場所。アジアーゴのチェントロは、なんだかすごい人だかり。

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街なかのみやげもの屋には、産地らしく、キノコやポレンタが店前にずらり。

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街からはずれて山方面へ。ゴルフ場、スキー場を両脇に見ながら。あー、長らくスキーもしていないなー、今年こそは、と毎年思いつつ、こちらに来てからはまだ一度もスキーをはいていない。


スキー小屋もお昼は満席。山らしいメニューのオンパレード。3人で頼んだメニューは、カプリオーラ(シカ)のラグーのニョッキ。クローブとジネブロを効かせて煮込んだもの。

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こちらは普通にラグーのタリアテッレ。

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ガッロ(オス鶏)のグリル。

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そして、山ならではの定番の皿。地元のチーズ、アジアーゴとキノコ、ポレンタの盛り合わせ。

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アジアーゴはヴェネトの代表的なチーズ。熟成3か月くらいの若めのものから数年のものまで、熟成度ごとに味わいが変わり、それぞれを楽しむ。

この日に食べたこの皿も2種のアジアーゴが盛り合わされている。

アジアーゴはこの丘陵地帯の7コムーネ(自治体)でつくられているものを呼ぶ。記録によると10世紀のころから、パドヴァにいた司教は同地のチーズを買い求めにやってきていた、という歴史もある。

現在は11,000ヘクタールのマルガ(山の放牧場)に約10,000頭の牛が放牧されているといい、環境の良さから美味しい乳ができることから、質のよいチーズが製造されている。

帰りに寄ったアジアーゴのカゼイフィーチョ(チーズ製造所)Pennar(ペンナル)。1927年創業でいいアジアーゴの造り手として、この辺では非常に有名。

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閉店間際の夜7時ごろにぎりぎりで入店したら、店内にはまだ人でいっぱい。次から次へとまだまだ人がやってくる。

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各種アジアーゴをはじめ、モッツァレッラやリコッタ、カザテッラなどのフレッシュチーズも豊富。牛乳やバターなどもある。

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美味しい話は幸せいっぱいだが、アジアーゴは第一次世界大戦のイタリア-オーストリアの激戦地でもある。戦争で亡くなった兵士の冥福を祈った記念碑が山の上に建てられており、約3300名の兵士の名前を彫った碑が収められており、また、その当時の様子、写真や文献、武器などを飾った展示館となっている。

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  1. Veneto/ヴェネト州
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ゴルツィア丘陵の地ワイン、リヴォッラ・ジャッラRivolla gialla :: 2013/08/08(Thu)

少し前になるが、フリウリのゴリツィアの丘陵地帯にて、リヴォッラ・ジャッラの生産者を訪ねた。

リヴォッラ・ジャッラはゴリツィア周辺のDOCワイン。この地域にて添加物などを一切、または極力抑えた生産者2軒を訪問。

丘陵地帯には見渡す限りの斜面にブドウの木の広がる畑。ここら辺はイタリアとはいえ、スロヴェニアとの国境目にある地域。言語もイタリア語ではあるが、スロウェニア語も普通に使われている。学校でも、スロヴェニア語での授業をするところもあるくらい。

ぶどうの品種としては非常に古く、リボッラRibollaという品種としてローマ時代に遡るもの、そしてロボーラRobolaというギリシャの島で栽培されていたものを12世紀ごろにヴェネツィア共和国時代に商人によって持ち込まれたものともされている。おおまかには、土着品種としてのリボッラ説が強いようだが、いずれにしても古くからこの土地で栽培されてきた品種であることはいうまでもない。

まず、訪れた先は、完全にスロヴェニア人家族のラディコンRadikon家。

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13ヘクタール弱の斜面だらけのぶどう畑を所有している。火山灰質のミネラル分豊富な土、斜面に沿って並ぶぶどうの木は、どこも平均して日の光が当たる、という、自然の力を最大限に借りたブドウ栽培。

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生産者のラディコンさんの話を聞くと、夏のこの時期は、葉の剪定、そして房を選定して、厳選したぶどうを大切に収穫まで健康な状態で育てるように、自然に手助けしている、という感を受ける。1本の木になるブドウは4-5房にまで絞り込む。

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興味深いのが醸造法。白ワインとはいえ、8年ほどの年月をかけてできあがるワイン。皮も一緒に1カ月弱の発酵期間の後、木の樽に移してそこから3-4年、さらに樽を変えて2-3年、という、出荷までに8年ほどかかるものまである。仕上がりの色は茶のかかったウイスキーみたいな色。冷た~く冷やして飲むのではなく、ちょっと冷たい、くらいがこのワインの味をよく知ることができる。

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この長い期間をかけての発酵→熟成は、彼らの今までの経験を踏まえた技術、そして彼らの理念ともいえる、“自然派”のワイン。ただし “有機”ではない。

理念に基づく独特な製法をとるこのワイン、風味も非常に個性的。白ワインの概念から離れた製法と仕上がりは、彼ら独自のオリジナルの哲学。何年もかけて仕上げてきた彼らならではのワインは、決して一般受けするものではない、と彼ら自身も自覚しつつ、それでもかたくなに、彼らなりのワイン造りが進められている。

そして、この辺一帯で作られる地ワインとして知られる、トカイ・フリウラーノ。現在、トカイという名称では呼ぶことができなくなってはいるが、実際には、トカイとして知られているもの。

これは、トカイが眠っている樽。

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商品名はヤコトJakot。トカイを反対読みにしてそのまま商品名にした、というジョーク。ちなみにイタリア語だとトカイはTocaiとなるが、スロヴェニア語が中心なので、CがKに、IがJとして表記されている。

畑も自然なら、カンティーナも自然。自然水がちょろちょろと流れ、自然の岩がむきだしになった地下のカンティーナは年間を通して温度、湿度がほぼ一定に保たれている。

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さらに2軒目、ここラディコンからほど近いカンティーナであるラ・カステッラーダLa Casterrada。こちらもラディコン同様のラヴォッラ・ジャッラを中心にしたワイン造りをしている作り手。

リヴォッラ・ジャッラの製法はラディコン家とほぼ同様。聞くところによるとほぼ同様のこの製法を取り入れている製造者はこの地区でも4-5軒ほどだという。

製造中の年代の違いを熟成度を確かめながらほぼ1年ごとに飲み比べさせてもらう。確実に色、風味の変化を感じることができる。時間をかけて樽の中で休ませることの大切さやらを丁寧に説明してもらい、頭の中はラヴォツラの魅力で満杯になった。

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カンティーナに入る前に、彼の持つ畑も見せてもらう。坂道、草だらけの道をどんどん突き進んであっちこっちを案内していただいた。

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ここら辺はイノシシの成育地でもあり、早朝はイノシシ狩りに最適な場所だとか。これは狩猟用小屋。

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何種類を味見させてもらったのだろうか、でも、最後にテーブルで飲ませてもらったシャルドネの、感覚に慣れた味、風味にホッと安堵感を覚えたのは、胸の内に…




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夏休み :: 2013/08/04(Sun)

8月に突入。今年の9月から小学校へあがる子供の夏休みは、今年は2か月半。ようやくもう少しで半分。

幼稚園は6月いっぱいで終了し、7月前半はお友達と毎日夕方からの水泳教室へ。毎日ルンルンで通っていて、がんばってだいぶ泳ぎも上達した。

7月後半は私の空いた1週間を毎年恒例のクロアチア、ロヴィーニの海へ。

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いつもながらに美しい海。今年からクロアチアはEUに加盟し、国境のコントロールもだいぶスムーズになっいたが、な、なんと国境ゲート手前10mで車が…動かない…コントロールのおじさんが出てきて車を脇に寄せてもらうのを手伝って(良い人でラッキーだった…)、しばらくしたら無事に通過。なので、帰ってきている今、車は入院中。
この国境は私にはかなり鬼門で、数年前はここでパスポート不所持(正しくは、パスポート持っていたんだけど、差し出してみたら期限切れの古いものだった)で泣く泣くUターンした場所。

いつものアパルトメントのおばさんもおじさんも、食事をするレストランも毎年会う顔ぶれ。毎年会うびおらのことも可愛がってくれるいつもの風景。
ほんとは違う場所にヴァカンスに行きたいのに~と思いながら、ここに来るとやっぱり来てよかった、と思う場所だ。

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今回の大人の見所となったのは、滞在地ロヴィーニョから南に30km下ったファザーナからフェリーに乗って行った島、ブリユニ島。旧ユーゴスラビアの終身大統領、世界大戦後に非常に影響を与えた指導者であったJosipi Broz Tito氏が避暑地としての私邸があったと島。ティートと愛称されて、大変なカリスマ性を持っていた政治家、彼の死後にユーゴスラビアが崩壊の一途を辿ったということからも、影響力の強さが解る。

動物を大変に愛した人物で、島のなかにはサファリがあり、トレニーノ(小型路面電車)で島内を一周。ローマ時代の住居跡など、非常に興味深いものなどが残されている、面白い島。
島自体は第一次世界大戦後からはイタリア領であった場所でもあり、また、ユーゴ、エジプト、インドのブリユニ会談が開催された場所でもある。

記念館には、この島を訪れた世界中の共産国の首相との写真や国旗などが展示されていて、ティート就任時のユーゴスラビアが世界的にも非常に力を持っていたことが窺えるもの。

アパルトメント近くのレンタサイクルの顔なじみのおばさんにこの話をしたら、急に遠い目になって「私の父…」と語り始めた。共産圏ならでは、を少し垣間見る。

…と文字ばっかりだけれど、この日、カメラを持ち忘れていて、記録写真なし。今回のヴァカンツァはなぜだかカメラをほとんど持ち歩かずにいたので、写真少なし。

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イル・ブルキエッロでヴェネツィア-パドヴァ間のブレンタ川ツアー :: 2013/08/01(Thu)

ヴェネツィア-パドヴァ間を流れるブレンタ川(リヴィエラ・デル・ブレンタ)はヴェネツィア共和国の貴族の美しいヴィッラ(邸宅)の建ち並ぶ区域として有名。この川を小さい船に乗って一日をかけてのクルーズが毎年3月から10月まで催行されている。

「イル・ブルキエッロ」という名は実は13世紀の時代から存在していたもの。ブルキエッロの言葉の由来はバルカ(=小さな船)から来るもので、ヴィッラを訪れる貴族用に美しく装飾されたバルカを陸地を走らせる馬に長い手綱をつけて引っ張って走らせた、という。

ヴェネツィアの本島に住居を構える貴族が、避暑を目的とした別邸を持ったということで、ヴェネト州内には、多くの美しい邸宅が現存している。そのなかでもこのブレンタ川流域は、景観の美しさもあり、特に好まれていた地域。その流域の美しさを保つためにも、庶民は川沿いへの土地の購入が禁止されたり、建物の構造の指示などもヴェネツィア政府からおふれが出ていたほどだった。

さて、私が参加したこの日は、ヴェネツィア発便の日。パドヴァとヴェネツィアを日替わりでスタート地点とするので、終着点も毎日日替わり。なので、この日はヴェネツィア発、パドヴァ着の日。

サンマルコ湾を出発して、岸から離れ、水深の深い部分の湾にまで行ったところで加速、そのまま湾に流れ込む川の河口へと入っていく。車や列車で出入りする陸地とはうってかわった、ここは緑豊かなのどか~な風景。周囲は畑が広がり、一気に田園風景。

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そして、河口に入ってしばらくすると第1番目の水門に。

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パドヴァとヴェネツィアの間には約10mの海抜差があり、この高低差のためにできる強い川の流れをいくつかの水門を造ることで、水の流れを穏やかにし、船の行き来をスムーズにさせる、ヴェネツィア人の仕事が現在もここに見られる。

上流側の閉まった門の前に到着し、一度船は止まる。下流側の門が閉まり、船は閉ざされた空間に。そこに水が流れこみ、水位を上げることで船を持ちあげ、上流側と同位になったところで上流側の門が開き、船が発進する。

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水がだんだんと増えていく様子を船の上から見ることができて、門の仕組みがしっかりと理解できる。

そしてヴェネツィアの大工業地帯、マルゲーラ地区を通り、

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着いた先は、ヴィッラ・フォスカリ。ここで下船。

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ここはヴェネトの建築を語る上での最重要人物ともされる、アンドレア・パッラーディオの手による建物だ。当時の貴族たちの間では、パッラーディオに建物を注文し、美しい邸宅を持つことが一種のステイタスであった。
他の全ての邸宅に共通することだが、建物正面、主玄関は川に向かって造られている。川面に映る建物の美しさをも計算されて設計されていた。

こちらが川側、正面。大理石でつくられた豪華建築のように見えるが、大理石はほんのごく一部で、レンガなどに色を塗ったものが大部分を占める。

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そしてこちらが陸地側。もちろん十分に美しい。

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そして、この当時の邸宅の特徴でもある、住居&農業施設のミックス型。陸地での生活には、広い栽培地を持ち農産物の生産もしてヴェネツィアへ運んだともされている。この農業施設の部分はバルケッサと呼ばれ、いわゆる農作業小屋みたいなもの。

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このヴィッラ・フォスカリは別名マルコンテンタとも言われ、この地区の地名にもなっている。イタリア語的には非常に変な名前で「マル=悪い」、「コンテンタ=喜ぶ、満足する」という二つの言葉のくっついたもの。

つまりは満足していない、ということなのだが、同邸宅の持ち主の奥様がこの家に住むのが嫌で嫌でたまらなくて、毎日溜息をつきながら部屋に閉じこもっていた、とされるから。別荘ではなく、年間を通して住居としていた(居住を強要されていた)彼女にとっては、ほぼ毎日霧のかかった風景に、田舎に住まわされて孤立感を覚えたであろう。

主人は彼女をここに閉じ込めたのは、彼女のその美しさがゆえのジェラシーからだった、と言われているので、自由の効かない結婚生活を憂鬱に過ごしていたのか。まあ、彼が思うほど、自分の妻はそれほどの美貌の持ち主だったのか、というのは…。肖像画もあるので、実際に目で確かめてみましょう。

それから、いくつかの水門、邸宅を眺めながら船は先へ先へと。

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これは途中寄った邸宅の庭にある18-19世紀の自然冷蔵庫。温度が安定している穴ぐらの中に食品を保管していた場所。

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現在残るこれらの邸宅は、個人所有のもの、州や市の管理のもと、もしくはホテルやレストランなどの施設に使用されているもの、そして、手つかずにそのまま放置されているものなど。修復及び維持には費用がかかるため、そのまま朽ちていく建物も少なくはない。

途中、お昼時になると、昼食タイム。船はレストランの入口に横づけされ、そのまま店内へ。お決まりメニューなので、あまり期待はしていなかったが、悪くない。

前菜の、スキエ(川エビみたいな小さなエビ)のフリットとポレンタ。
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エビのソースのニョッキ。

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そして、スズキと車エビのグリル。

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ドルチェもつく。もちろん、水とワインもあるので、かなり満足。

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昼食後は再乗船して、しばらくはゆったりと、それでも次々と続く邸宅や橋、水門を通りながら船は進む。お昼の後はちょっと眠くなるのは皆一緒。船上はなんだかモワ~ンとした感じになっていた。

橋、といえば、川の両岸を渡す橋も船が通過するたびに開く必要がある。船が橋に近づくと、道路は赤信号。車の列はどんどん長くなるのを横眼に船はあくまでマイペース。

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橋の開閉は自動開閉のところもあるが、人力にての開閉の箇所も残る。各所水門の開閉及び橋の開閉は船より先廻りして車で同ルートをいくおじさん達に委ねられている。

船の上部にあたる、高い位置に造られた橋もいくつかあるが、ブルキエッロの船の高さと橋の下部がぎりぎりの所があったりして、そんなときは上部席に座る人たちは皆低くかがみこむ必要あり。風景を進行方向と反対側に見ている人などが、橋の接近に気付かずに、周囲に大声で注意を促されてびっくりして皆で大笑い、なんて和気あいあいムードも出てきたりして、楽しい。

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パドヴァに近づいてくるに従い、川は平野部へと。ブレンタ川ツアーとは言ったが、実際にはこの川はブレンタ川主流ではなくて、支流。だから、川というフィウメfiumeという言葉をあてるのではなく、この水の流れは、リヴィエラrivieraとかナヴィリオnaviglioとかいうのが使われている。

川の性格上、氾濫などが起こりやすく、平野部には被害が出ていたため、水の流れを分散させてきた結果だ。ヴェネツィアを通ってアドリア海に注ぎ込む川の流れはいくつかあるのだが、それらのほとんどがヴェネツィア人によって、整備されてきている。もちろん、全てがヴェネツィアの時代になされたものではないとしても、それは中世の時代からの技術がそのまま現代へも通じていることだといえるもの。

いくつかの要所に、川を派流へと流れを変えた分岐点も見て解る。

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さて、このツアー最後の邸宅の見物としては、ヴィッラ・ピッサーニ。

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168もの部屋数を持つ、19世紀初頭の邸宅で、現在国立博物館となっている。モデナ公、ナポレオンなどもここに宿をとったとされてもいる。ナポレオンの寝室も公開されていて、決して横になって眠ることがなかったとされる、頭側にクッションが高く積まれたベットも展示されていたりする。

さてさて、朝9時にヴェネツィアを出発したこのクルーズ、夕方5時にパドヴァに到着。終日解説をしてくれたガイドさんは各国言語を流暢に話す。おまけに終日しゃべりっぱなし。

彼女のおかげで、いろいろなことも発見、ヴェネツィア人の水に対する仕事ぶり、そして貴族たちの生活及び現在に至る所有者の経緯などなど、大変興味深い一日。…でも、内容濃いので、パドヴァに着いたときには結構ぐったり。それでも見なれた風景での降船にて、ホッ。。。





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