パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



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サローネ宮の下のもっと下 :: 2015/02/26(Thu)

パドヴァの中心、街の“顔”でもあるラジョーネ宮。13世紀の建物で、裁判所として使用されており、パドヴァの人たちからは“サローネ”という通称で親しまれている場所。

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日中も夜も堂々としたその姿は、街の中心を飾るにふさわしい風貌。

サローネの下は“ソット・サローネ(⇒サローネ宮の下)”と呼ばれ、当時からここは商業の場として、商店が立ち並んでいた場所。

今日も同様、ハムやチーズ、肉、惣菜などを売る食品店街となっていて、いわゆる、ショッピング・センター的な使われ方を今も昔も変わらずに人の集まる活気のある場所として健在。

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このソット・サローネのさらにソット(下)は、これらの商店の倉庫として使われていたのだが、20世紀に入り、ここはローマ時代の遺跡跡であったことが発見された。

当時の遺跡は現在、私たちが歩いている高さより7メートルほど低い高さにあったとされ、その高さに紀元前後の建物の土台が残されている、ということになる。

ここの見学は自由に中に入ることができず、曜日と時間限定でガイドと伴に入ることとなる。普段閉められている床をぐぐっと上げて床下にいくように階段を降りる。(写真の係のおじさんは登ってるけど…)

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そこには、ローマ時代の生活の一部を垣間見れるような遺跡が、もちろん全ての原型をとどめていないまでも、建物や道、そして井戸の跡などが。

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白×黒のシンプル模様ではあるが、当時の床のモザイクの一部などが残されており、非常に貴重な古代パドヴァの歴史。

1200年代にこの建物が建てられた際には、もしかしたらこの地下部分の存在も知られていたのかもしれない。しかしながら、この大きな建物はその後、何度も火災やら暴風雨の被害にあっていて、何度も修復に手をかけられているうちに、だんだんと風化していったもの、と聞いている。

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現在も一部はまだいわゆる物置のようにロッカーが並んでいたりする…

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サローネ宮の造りの非常に特徴的な屋根は現在木造建築で、“船をひっくり返したような”、中心部が高く、ゆるいカーブを描きながらまるで船底を内側から見るような造りだが、当時は木製ではなく、石づくり。その当時、パドヴァで大きな業績を残したジョットの壁画もあったのが、時の流れと様々な不運に見舞われて、残念なことに、それを現在見ることはできない。
当時の、完成したばかりのサローネ宮、この目で見てみたかったなぁ…無理だけど。


パドヴァの街も掘り起こしていくと2000年前級の遺跡が隠されている。つい先日も現在工事中の鉄道駅の線路を掘り起こしたらローマ遺跡が出てきてしまって工事が中断…ということも。

新地下通路を新設中の工事なだけに、またもや工事の完成が先に延ばされる見通しだ。




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ブランドーリ通りのオステリア Antica Osteria di Via Brandolini :: 2015/02/17(Tue)


トレヴィーゾ県の北の端、ソリゲット(Solighetto)という町にある心地よい食事処。ここはプロセッコの産地でもある、丘陵地帯の中腹の静かな場所。

地元の人が一番にお勧めするのが、同店、『アンティーカ・オステリア・ディ・ヴィア・ブランドーニ(Antica Osteria Via brandolini』。その店名は、店のある通り(ヴィア)の名からきていて、趣のある看板が目印。

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中に入ると、落ち着いていながらクラッシックな雰囲気のする店内。ムラーノの美しい鮮やかな色のガラスが整然と置かれていて、背筋がぴしっとしながらも、美味しいものを食べさせてくれそうな、いい予感のするエントランス部分。

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実は数年前にもこの地に仕事で訪れた際に連れていってもらって、いい店だなぁ~と思ってたところ、また偶然に女友達3人で訪れた。それも、地元のワイナリーの方に推薦してもらって、来てみたらここだった、という。嬉しい偶然だった。前回は記憶もたどたどしかったけれど(というか、昼食場所を覚える余裕もなかった…)、今回こそは、覚えたぞ!!

メニューはほぼ店のお任せ。アンティパストには季節の野菜のたーっぷりな盛り合わせが運ばれてくる。彩りよく、野菜の美味しさを味わえる。

普段、野菜料理というと、形なく、くったくたに皿の上にゴソッとのっけられてくる、という場面が多いが(それはそれで美味しい。野菜の種類によってはそっちのほうが美味しいのだけれど)、ここのは、とってもシンプルに、そしてあっさり。カボチャなんてスライスして茹でただけで出されてきたりする。地元、アーゾロのオイルを少しかけていただく。素材の旨みに、「御馳走様」と言いたくなる。

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そして、地元のサラミやハムの皿が。各自好きな分だけを取り分けるスタイルだ。豆の煮たのや、米のサラダやら、今の季節のヴェネトには欠かせない、ラディツキオなど…

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盛り合わせると、こんな感じ。

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お次はその日のプリモ・ピアット。カボチャの詰め物をしたトルテッリやら、秋ならば、きのこを手打ちのタリアテッレに合わせて。

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お腹の余裕があれば、ぜひ食べたい、この店の名物、スピエード。つまり、串に刺した肉のローストだが、ここは滋味あるウズラの肉で。

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こんな感じに窯の火でじっくりと焼かれる。

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(この写真は店のHPより)

ドルチェは毎日店で焼かれるトルタ類が客席の傍らに並ぶ。これも店の名物。食事していると、厨房から熱々のトルタができあがってきて、型のままそこで冷まされる。

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とりたてて変わったドルチェがあるというわけでもないが、どれもこれも優しいマンマの味がする。

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夕食に訪れていないので、夜の様子は解り兼ねるが、昼は感じのよい客層。スーツ姿の男性のグループはこの店の昼には欠かせない光景。店の雰囲気からもビジネスランチにぴったりな仕様。

個人的には、昼にこういうビジネスマンたちが食事をしている店って、非常に心地よい感じに食事のできる、という基準のひとつにもなっているところでもある。

美味しいプロセッコは必須のこの土地。時間や仕事や帰りの車の運転など気にせずに訪れたいなぁ…と想う店。

Antica Osteria di Via Brandolini
Via Brandolini, 35 - 31050 Solighetto (TV)




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カーニヴァルのパドヴァ :: 2015/02/16(Mon)

長い寒い季節の終わり、春の始まりを感じさせるこの時期。カーニヴァルシーズンが到来した。

街は主に子供たちに向けた催しが企画される。そして、仮装した子供たちがあちらこちらに歩きまわるのを目にするようになる。特に週末ともなるとマスケラ(仮装)をした子供たちがチェントロに集合してくるのも、季節の風物詩だ。

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パドヴァでは、一番の子供たちの溜まり場(?)となるのが、カフェ・ペドロッキ前。コリアンドリと呼ばれる紙吹雪を投げ合っているだけ、といえばそれだけなのだが、なんだかその騒々しさが、春を呼ぶ声と化しているような気がする。

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これが、その、コリアンドリ。この時期は道にはこれらがまき散らされているのだ。

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カフェ・ペドロッキ内では、カーニヴァルに合わせてミニオーケストラの演奏会。街の中心の広場にはそぞろ歩きの家族連れの姿が目立つようになり…

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菓子店の店頭は、もちろん、フリッテッレ。揚げたドーナッツみたいなものだが、毎年恒例、変わることなく登場するこの高カロリーのこれは、やっぱり食べなくてはならない、という縁起もの、ともいえるもの。

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週末の夕方に話があるから寄るわね~、と言って立ち寄ったシニョーラ宅。私の訪問時間に合わせてフリッテッレをちょうど揚げているところだった。
揚げたてアツアツのそれは、今まで食べたどこのものよりも美味しい!!何よりものおもてなし。とっても嬉しかった。

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毎年変わらずに訪れる風景のなかに、少しつづ毎年の変化を感じさせてもらえる。特に子供の成長はその最たる例のひとつ、かな…

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Specola(スペーコラ)-天体観測所 :: 2015/02/02(Mon)

水の街でもあるパドヴァの素敵なポイントのひとつが、現在、スペーコラといわれる天体観測所(Osservatorio Astronomico)だ。

“スペーコラ(specola)”は、“オッセルヴァーレ(osservare)”からの派生語。“観測する”という意味から来るもの。

バッキリオーネ河沿いにあるこの建物は、1200年代半ばに当時のパドヴァの君主、エッツェリーノ3世・ダ・ロマーノ(Ezzelino III da Romano)により、現在見られる2つの塔を中心に建設されたもの。暴君として知られている同君主は、ここを牢獄としての使用を目的としていた。

河沿いには、ここを中心に塀が築き上げられ、“塀の街=チッタ・ムラータ”として知られるパドヴァの街の造りのスタート地点でもある。

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その後、1300年代後半、現在のパドヴァの形を造り上げた領主、カッラーラ家により、建物に修飾され、美しいカステッロ(城)、通称として、“カステル・ヴェッキオ(Castel Vecchio)”として現代に残る。

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さらに時が経ち、パドヴァがヴェネツィア共和国の傘下であった1700年代、この建物は10年の修復作業を経て、天体観測所として生まれ変わる。1777年のこと。

パドヴァは、ヴェネツィア共和国唯一の大学のある街でもあり、学術が非常に活発に発展した経緯がある。
当時のヴェネツィア共和国はヴェネツィアから、現在のロンバルディア州ブレーシャの辺りまでを制する、大きな国家であったが、その天体観測の中心は、ここスペーコラで行われており、ヴェネツィア共和国の時刻の調整もすべて同地が担っていたのだそうだ。

観測所内には、その日の“正午”を計測する部屋があり、毎日、ここで3名の観測者が、寡黙に計測を行っていたのだとか。現在のような統一時刻(メッゾォジョルノ・メディア/mezzogiorno media)ではなく、日照時刻(メッゾォジョルノ・ヴェーロ・ソラーレ/mezzogiorno vero solare)といって、非常に原始的に、部屋の南北、上部に開けられた小さな穴から指す光の位置を毎日観測したのだとか。

ここではもちろん夜の天体観測もなされていたが、それはもう大変な忍耐力ともに、望遠鏡を覗き続ける人、記録する人、時刻を読む人、との3名で無駄口一切なく、静粛ななかでの作業だったとか。この日も寒い日中だったが、冬の夜の作業は過酷ともいえるものでもあったと想像される。

一番高い場所は36mの高さがある。この高い塔を使って、パドヴァ大学で教授として在籍していたガリレオ・ガリレイが天体観測をしていた、と言われているのを信じていたが、実は彼の在籍期間中(1592-1610年)には、ここはまだ天体観測所としての機能は持っていなかったのだとか。

もしかしたら内部に足を踏み入れたのかもしれないが、その当時はまだ牢獄であったため、研究場所としての使用はほぼ認められていなかったはず。そして、おまけに天体観測所としてヴェネツィアが建物に手を加えている前であるので、当時はまだ建物自体は低いものであったこと。ましてや、足を踏み入れたこともなかったのでは?などとの推測もされているよう。

建物の一般解説やガリレオのパドヴァ大学滞在期間を照らし合わせてみれば容易に解ること。とはいえ、一緒に見学に参加して他20名ほどのパドヴァ人たちも、改めてこの事実を知ることに。
現在の一番高い観測所から見る、パドヴァの街の風景。前方にはサンタントニオ聖堂が。

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方角を変えると、水の流れのある街の風景。

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現在、スペーコラの脇には、パドヴァ大学の天文学部のキャンパスとなっており、また、建物自体は、1994年以降、博物館として一般公開をしている。

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建物の外観の美しさ、そして、パドヴァが大学の街として学問の発展に対して非常に貴重な存在であったことなどを知るきっかけとなる、ひとつのポイントだ。

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La Specola
vicolo dell'Osservatorio
スペーコラ博物館(www.pd.astro.it)
※建物内、撮影禁止





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