パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



ゼロブランコのラディッキオ収穫祭 Mostra del Radicchio di Zero Branco :: 2016/01/21(Thu)

旬を迎えたラディッキオのサグラ(収穫祭)は順を追って各地で開催されている。この時期は、トレヴィーゾ県の産地、ゼロブランコという町での開催。毎年1月初旬から中旬の週末を含めた2週間が会期となっている。

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各地でのサグラは各自治体の持つProLocoという、地元の観光振興機関が主になり行われ、各サグラでの趣向の凝らし方も任されている。
このゼロブランコの会場の作りは、例年、会場となる仮設大テントの入り口に、ラディッキオの生産工程の順を追った様子が再現されている。

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種まき、畑での生育、収穫、浸水作業、出荷までの作業が見られるのだが、それらの表示が、イタリア語ではなくて完全に地元の言葉で書かれているところもまた面白い。

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メイン会場は、大食堂と化す。
どれもラディッキオをベースとしたメニューの数々。

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ラディッキオのグリルとフリット。

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リゾットや、ラディッキオを混ぜ込んだチーズなど。地元ならでは、ラディッキオならではのベーシックだけれど、皆が好んで食べるものばかり。

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ほか、地元の業者の展示即売等々の露店も並ぶ。

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11月から出荷の始まるラディッキオだが、1月、2月が最も美味しくなる季節。まさしく旬。

毎年、やはり気候の変化や異常気象などで何かしらの変化や問題がある。自然の力に頼る農作物にはつきもののの問題。
そんななか、旬の味をいつものように、恒例の行事が開かれ、そこに人が集う。生産物、生産者はじめ関係者、そしてそれを消費する人々…全てが揃っての収穫祭の有り難さだ。





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ヴィッラ・ピサーニ Villa Pisani :: 2016/01/17(Sun)

パドヴァからヴェネツィア方面に向かい、ヴェネツィア県のはじめの町、ストラにある貴族の館。

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ヴェネツィア共和国時代、1300年代に商人(ヴェネツィアの貴族はイコール商人でもある)として、それもヴェネツィアでも力のある代表的な一族であるピサーニ家によるもの。1400年代に入り、その時代のヴェネツィアの他貴族と同様に、本土、いわゆるテッラ・フェルマに移動してきて、そこに大きな別荘、または邸宅を広大な敷地に建てる、という風潮にのり、パドヴァの土地に建てた邸宅だ。

建物の完成は1700年。ピサーニ家が最も繁栄した時代に当主としていたのは、アルヴィーゼ・ピサーニ(Alvise Pisani)。彼がヴェネツィア総督となったのが1735年であるから、まさしく一族の栄華の結晶ともいえる。

ただし、この時代は、ヴェネツィア共和国終焉が見えていた時期でもある。最終的には同国を降伏させたナポレオン・ボナパルトの手に渡る。それが1807年。ヴェネツィア共和国がナポレオン率いるフランス軍の手により崩壊したのが1979年。

ちなみに、同邸宅には、ナポレオンが宿泊した部屋が残されており、使用したベットもある。ただし、ナポレオンは決して横になって眠ることがなかった、と言われており、枕を高く重ねて背もたれにして、靴をはいたままだった、と聞く。

こうして、王族の持ち物となったこの建物は、その後もオフィシャルな客人を招くこととなる。オーストリア王女マリアンナ・カロリーナ、スペイン王カルロIV世、ロシア皇帝アレッサンドロI世、ナポリ王国王フェルナンドII世、ギリシャ国王オットーネ…等々。

これは、モデナ公国王女が宿泊した部屋。

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この時代の浴室や…

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晩餐用のテーブルセットには、贅沢な空気が感じられて、この時代にこのテーブルに座った人たちはどんなだったのだろう…と想う。

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とはいえ、だんだんとその機能もなくなり、邸がさびれてくる一方となったところで、1884年に博物館として邸の修復及び保存がなされる。

その後は、詩人ワーグナーなどの文豪家、ムッソリーニやヒトラーなどの時の政治家なども同邸を訪れている。

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壁画で有名なのは、舞踏用の大広間の天井に描かれたティエポロ画。ピサーニ家の栄華が題材とされている。

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この部屋には、この時代に建てられた多くの郊外邸宅に見られるような壁に描かれただまし絵的な技法も。部屋を大きく見せるために、壁に直接柱や窓が描かれ、遠近法をつかって、うまく奥行きのあるように見える。

邸の裏手には、大きな庭園が。正面に見える堀と向こうに立つ建物の美しさ。ピサーニ邸の贅沢さを象徴するような庭だ。正面の大きな建物は、この堀との風景の対象のために造られたものにて、実際の機能はほとんどない、という。

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邸宅を逆方向からみると…

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この庭園の周囲(もちろん邸宅敷地内)には、奥に柑橘の苗のコレクションのある小庭園、植え込みの迷路があったりする。冬場の現在は、閉ざされているが。

この邸の建つ位置は、ブレンタ河岸。この河は、ヴェネツィアからパドヴァを結ぶ重要な水の流れ。商業的な意味もあるが、特にここをヴェネツィアの貴族達を夢中にしたのは、その流れの穏やかさと、長く続く河岸の美しさ。

ヴェネツィア共和国の数多くの貴族が、この河辺にこぞって邸宅を建築した。それは、自宅または別荘として使われるのだが、とにかく、水路が交通手段の中心であった時代。水面を正面に建てられるそれらは、その正面玄関を豪華に、美しく造り上げることで、その一族の裕福さを露呈するための手段でもあった。

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河辺の景観を保つためにも、ヴェネツィア政府は、貴族のみがこの河辺に建物を建ててもよい、という条例が発せられてもいた。そして、この河辺に多くたつ、この時代の建物は、ヴィッラ・ヴェネタといって、他ヴェネト州に点在する約40点の美しい建物とともに保存の対象となっている。

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ヴェネトの栄華はヴェネツィアの栄華でもある。晴朗きわまる所=セレニッシマという異名も持つ、ヴェネツィア共和国の、当時の伝統や文化、慣習は現在でも脈々としている。

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Museo Nazionale di Villa Pisani
Via Doge Pisani 7 - 30039 Stra (Venezia)




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NHK 「SWITHインタビュー達人達(たち)」 1月16日(土)22時より :: 2016/01/12(Tue)

ヴェネツィアでの撮影のお手伝いをさせていただきました。

1月16日(土)22時より NHK Eテレ 「SWITHインタビュー達人達(たち)」1時間の番組で放映されます。

全く違う業界で活躍する2人のトップ=達人達(たち)にスポットを当て、対談を行う内容です。この度は、ヴェネツィアのムラノ島にて、ガラスアーティストとして活躍する土田康彦氏と、兵庫県三田で大人気の菓子店「エスコヤマ」のオーナーシェフ、小山進氏のご出演です。

非常に多才なお二人の、お互いの真に迫るお話も伺え、面白い内容となっていると思います。ぜひご覧ください。

番組の案内はこちら
http://www4.nhk.or.jp/switch-int/x/2016-01-16/31/14551/2037096

出演者お二人の詳細はこちらです。

土田康彦氏HP
http://www.tsuchidayasuhiko.it

小山進氏「eS KOYAMA」HP
http://www.es-koyama.com

ぜひお見逃しなくご覧ください。



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エピファニアとベファーナ :: 2016/01/07(Thu)

正式にクリスマスシーズンに幕が閉じた。その日は、エピファニア(Epifania)=公現祭と呼ばれる1月6日。降誕したイエス参りをしたマージ=東方三博士のイエスへの礼拝を果たした日を祝ったもの。

マーギは、パレスチナのベツレヘムに約900kmかけてイエスの降誕を祝う旅をしたのだとか。当時はラクダに乗っての移動。1日の最長可能移動距離は80kmというので、イエス降誕から約2週間ほど後の1月6日が、その到着日、となる。

さて、この日をもって、すべてのクリスマス行事を終了する。そして、この1月6日を迎える夜には、ベファーナが子供のいる家庭を1軒1件まわって、甘いお菓子を靴下に入れていく習慣がある。
だから、街中の駄菓子屋さんは、ベファーナ(老婆)の人形やら、お菓子でパンパンになった靴下で軒が飾られる。

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同じようにクリスマス・イブにサンタクロースの贈り物を待って靴下を準備するのはイベント的。それとは別に、ベファーナに対するそれは宗教的に存在する行事だ。

この日にイエスのもとに辿りついたマージ。彼らがイエスの居場所を道中に尋ねた人物が、このベファーナ。ベファーナはこの時に素っ気ない返事をして三人を追いやったものの、その後に自分もイエスのご加護を肖ろう、と三人のマーギの後を追うが時や遅し。仕方がないので、生まれたばかりの赤ん坊のいる家を一軒ずつ廻り、それがイエスであることを願いながら、甘いお菓子を置いていった、と言われる伝説から。

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なので、子供達は、1月5日の夜寝る際には、枕元に靴下を仕掛けておいて眠りにつく。いい子にしていた子供には、甘いお菓子が、悪い子になっていた子供には、お菓子の代わりに真っ黒な墨(カルボーネ)を置かれる、ということになっていて、目覚めた時に、ドキドキしながら靴下を開けることとなる。

駄菓子屋では、ジョークで、ゴツゴツとした墨の駄菓子も売っているし、ピンクや赤や黄色のカラフルなものも置いていたりする。ただし、黄色い墨は良い意味だそうだ。

パドヴァでは、この日に広場に仕掛けられた大きな焚き木に火をつける習慣がある。そして、この焚き木の上には、この日の象徴であるベファーナが仕掛けられる。

これは、”Brusa la Vecia(ブルーサ・ラ・ヴェーチャ”と呼ばれ、brusaはbruciare(ブルッチャーレ=燃やす)のヴェネト弁、veciaはvecchia(ヴェッキア=老婆)の、これまたヴェネト弁。veciaはここではベファーナを指すので、仕掛けられた焚き木の上のベファーナを燃やすこと、という意味。

ヴェネトでも、ヴェネツィアやトレヴィーゾに強くこの風習が残っていて、そこらへんでは、主に、Panevìn(パネヴィン)とか、 Panaìn(パナイン)などと呼ばれる。いわゆる、Pane e Vino(パーネ・エ・ヴィーノ)、パン(パーネ)とヴィーノ(ワイン)という意味で、いずれも豊穣を表すもの。

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これも新年の、パドヴァの大きな広場プラート・デッラ・ヴァッレでの恒例イベント。

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午後からのイベントに向けて、多くの人、家族連れで賑わう。

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夕方5時に、点火。なんだか、可哀想なぐらいに、勢い良くあっという間に燃えてしまったベファーナ…

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これを燃やして燃やした炎の向きで今年一年の運勢を占い、また、健やかな一年を願う意味が込められている。北東方面に炎が上がると幸運の印、と言われている。今年はそちらに方向が向いたようで、2016年もよき年になるだろう。

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しばらくして、アックア・サンタ(聖水)の意味も込められた、消防車からの放水にて火はゆっくりと鎮火する。

ようやく、これで冬の大イベントがすべて終了。街のナターレ用のバンカレッレ(屋台)も、大きなクリスマスツリーも全て撤去される。そして、一年の本格的スタート。

街はエピファニア前日から始まったバーゲンセールでしばらくは、違う意味で活気づく。

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そして、続くはカーニヴァルの季節…




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アルピーニのオステリアにて :: 2016/01/03(Sun)

年が明けた初日は、快晴の1日。

チェノーネと呼ばれる、12月31日の外食は避けて、新年初日のお昼を外で食べようか、と計画していた通りに、少々遅く起きた元旦の昼前、夫と娘とで郊外へ出かけた。

行く先は、パドヴァを少しだけ北上した、トレヴィーゾとヴィツェンツァの境目あたり。モンティチェッロという、自転車好きにはたまらない山道の続く、自然たっぷりの場所。近くは、プロセッコの産地であるヴァルポリチェッラを控え、この土地に恵みを与えるピアーヴェ川が流れる。

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ある程度目星をつけておいたアグリトゥーリズモを探しながら、気づいたら、なんだかすごい山道に迷い込み…新年早々、家族で迷子。ナビに頼らずに動いたおかげで、この山の端から端までをドライブできた、ということにて。

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途中でロバやら馬やら羊やらを横目にしながら…

ようやく広い道路に出たところで運良く開いているオステリアを発見。

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なかなかいい感じの外観にて、これを逃したらお昼抜き、という思いもあって、即、入店。アルピーニ(山岳隊)のオステリアというセコンド・ネームを持つこの宿場のようなオステリア。ここら辺一帯は第一次大戦の激戦区でもある。

新年早々、新年の特別メニューではなくて、普通のメニューが食べられるのは、嬉しいこと。

定番ヴェネト料理にて、新年の第1食目。

ヴェネト風パスタ・エ・ファジョーリ。

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きのこのタリアテッレ。キオディーニの産地でもあり、秋にはきのこ狩りの人たちが集まる一帯でもある。

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サルチッシャはポレンタを添えて。

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トミーノは鉄板焼きにて熱々で。トレヴィーゾ産ラディッキオがたっぷり。

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地元のプロセッコは、泡なし。これもプロセッコというのかな…その名も、そのままトランクイッロ(Il Tranquillo)。いわゆる”フェルモ=発泡でないワイン”のことを指して名付けたもの。

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新年のよいスタート。

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