パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



パドヴァ大学 パラッツォ・デル・ボーPalazzo del Bò :: 2010/11/09(Tue)

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パドヴァ大学の建物の一部。『ボーBò』というのは“牛”を指す“ブエBue”のヴェネト訛りの言葉。大学がこの地を構えた時代には、近くに牛屋通りがあり、ここにあった建物は牛の一時牛舎であったことから。ラテン語でその当時はホルピタル・ボヴィスHospitium Bovisと呼ばれており、宿舎(人間用)としても利用されていたものを、1400年代後半に大学所有のものとされている。

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パドヴァの大学の歴史は古く、パドヴァにおいてその原形が築かれたのは1222年。イタリアではボローニャに次ぐ第2番目の大学。その当時のボローニャ大学の教授やら学生ら有志が、戒律のないもっと自由な学問・思想・文化の自由の場を求めこの地に辿りついたことから。その後大学として体系化されたのは1399年。
当時から医学、哲学、神学、語学、文学、天文学などの学部が存在したのだそうだ。

400年代以降、2-3世紀間この地はヴェネツィア共和国下であったという背景(カトリック教会からの圧力からの保護があったことなど)から、大学としての個性化及び進化が著しい時代だったとされている。
特に医学、解剖学の分野における進歩は目覚ましく、ここで偉大なる業績を残した人物がガリレオ・ガリレイ。現代医学に偉業を成し遂げたとされ、1545年に開園した大学付属の植物園『オルト・ボタニコOrto Botanico』が薬草研究のために発足した、というのと同歩している。
そして、1595年に完成した世界初の人体解剖室を持ったことも大変有名。こういったことからも、カトリック宗教の訓えからも反しながら独自なる画期的学問を切り開いた場所であったことも窺える。医学の分野としてはもちろん、広範に学問の現代的発展においても影響のある大学のひとつといえる。

その後、800年代直前のヴェネツィア共和国の終焉とともに大学はイタリア国家下に置かることとなる。大学の多くの教授及び生徒たちはそのころに起こった運動、雲気であるイタリア国家統一運動であるリソルジメントに積極的に参加。1848年2月8日に対オーストリア軍にパドヴァの、イタリアの独立を求めて戦った日として現在でもこの日はパドヴァ大学のそしてパドヴァーニにとっては大切な記念日ともなっている。この日を記した通り"1848 年2月8日通り Via 2 febbraio1848" の名も残る。

その後も世界大戦中には対ファシズムの動きをとるなどの社会的・思想的な自由を断固として掲げてきた、という大学の姿勢がある。

さて、この建物、パラッツォ・デル・ボー自体の建築としては1546年に始まり、翌世紀半ばまでを費やした、丸い柱廊を配した美しいルネッサンス様式。

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もちろん、現在でも現役として使用されている。教室及び、ラウレア(卒業)もこの建物内にて行われるし、また大学関係を問わず、重要な会議なども行われる部屋もある。

これらは見学も可能。

建物内の見学としての最大の見所は、もちろん世界初の解剖教室。テアトロ・アナトミコteatro anatomicoと呼ばれるこの部屋は、1594年建築された、逆円錐型のらせん階段教室。最大300名収容のこの階段教室はその当時、もちろん空調設備どころか窓もなく、明かりといったら生徒自らが手に持つロウソクの灯り。おまけに死体の人体解剖であるから匂いもすごかっただろう。酸欠やら何やらで倒れる人が続出したのでは、と想像できる。ちなみにそういった理由からも解剖は冬期のみ、そして300名という数字はあくまでも“やせた”人ばかり、とガイドさんは連発していた。

現在は解剖台があった場所の上に床が貼られ、その当時のままの姿を見ることはできないが、当時は逆円錐の頂点の部分に台をおき、解剖した肉片などをそのまま流せるように、下は川が流れていたのだという。
それを300人の学生たちが上から覗きこんでいた、という図はなんだかおそろしい。

実際にその部屋を見ると、意外にも小さな部屋でそしてそのらせん階段にぎゅうぎゅう詰めに並んで立っていただろう学生たちが握っていたであろう手すりというのは、大変に美しい彫りが施されている。

建物内の見学には、ガリレオ・ガリレイが実際に立っていた教壇が見られたり、歴史ある美しい部屋がみられたりして、興味深いので一見の価値あり。
そして、ここパドヴァ大学にて1678年10月、世界で初の女性として大学を卒業した、エレナ・ルクレツィア・コルナーロ・フィスコピアElena Lucrezia Cornaro Piscopia氏の哲学博士としての記念碑もある。

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