パドヴァのシンボルと言ってもいい、同カフェは1831年創業。建物は 1826-1831年に建設が始まり、現在のバール部分は始動。その当時は商人たちの金銭、商品の取引場にもなる場も設けられていた。

建物の構造及び装飾は創業者であるアントニオ・ペドロッキAntonio Pedrocchiの意を受け、ヴェネツィアの建築家であるシュッセッペ・ヤッペッリGiuseppe Jappelli。
外装、内装は現在もほぼその当時のままの姿を残している。建物自体がカフェ兼博物館と言ってもいいだろう。
1階はホールが3つに仕切られており、3色の部屋(サーレ・トリコローレ=緑、赤、白三色のイタリアンカラー)として、白(ビアンカ)、ロッサ(赤)、ヴェルデ(緑)と呼ばれています。各ホールのソファーの張ってある布の色が部屋の名前にちなみ、色が違っている。
中央のホール、サーラ・ロッサの中央奥にはバンコ(バー)があり、立ち飲みもできるスタイルも当時のまま。

建物の脇にある階段からつながる2階はPianoNobile(ピアノ・ノービレ)と呼ばれ、ルネッサンス期を思わせる美しい部屋が残存。そして、2階の一部はリソルジメント期(近代イタリア国家の独立・統一運動期;1820~1870)のパドヴァの歴史博物館ともなっている。
“Padova, città tre senza:del santo senza nome, del prato senza erba e del caffè senza portaパドヴァには3つの不足しているものがある:名のないサント(聖人=パドヴァの守護聖人、サンタントニオ/聖アントニオは通称を「サント」とされている)、芝生のないプラート、扉のないカフェ(カフェ・ペドロッキ)”
という言われは、パドヴァの3大シンボルのことを指しているもの。ここでいう同カフェを謳う“扉がない”とは、朝から夜まで一日中誰にでも解放されている、という意味。カフェとは、単なる休憩するためにお茶をする場所という場ではなく、商業、政治の場としても活用されていたことが窺えるものだ。
さて、メニューの内容としてはもちろん通常のカフェメニューと、カフェ・ヴァリエーションだが、ここに同店の名を冠したメニューがある。

これは、エスプレッソにミントのシロップで風味づけしたの泡状のラッテをのせたもの。コーヒーのほろ苦さにミントの爽やかで甘い風味が加わる。コーヒーの独特な深い色に淡いミント色の組み合わせもまたまた絶妙。通常カフェに添えられてくる砂糖もスプーンもなし。カメリエーレ(給仕人)に、「かきまぜずにそのまま飲んでください。」と言われるがままに、そのままどうぞ。
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なかなか歴史がある社交場的な場所なんですね。padovaでは、歩き疲れてペドロッキの前まではきましたが入りませんでした。入ってみればよかったみたいですね。
今度パドヴァに訪れる時のリストに入れます。
- 2011/06/03(Fri) 18:05:39 |
- URL |
- shio #HwK7h/h.
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shioさま
次回はぜひ、座ってみてください。アペリティーヴォもサービス良です。
- 2011/06/04(Sat) 16:00:09 |
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- aki #-
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