パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



パドヴァのシニョーリ広場Piazza dei Signoli :: 2011/07/20(Wed)

ピアッツァ・ディ・シニョーリPiazza dei Signoriはパドヴァのチェントロ、町のシンボルともいえる広場のひとつ。日中は雑貨などを売るメルカートが、夏場の夕刻時には、広場周辺のバール・エノテカがテーブルを一斉に出す、パドヴァーニの集まる賑やかな広場でもある。

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同広場名の“シニョーリ”とは、パドヴァの歴史・文化が目覚ましく発展した1318-1405年、パドヴァの領主であったカッラレージ家を指している。ここに住まいを構えていたためだ。

同広場は一度は『シニョーリ広場Piazza dei Signori』と呼ばれたものの、現在までに何度かその呼び名が変わっている。カッラレージ家統治の崩壊後、廃墟となった王宮を指して『デソラツィオーネdesolazione(荒廃した)広場』へ、その後1848年5月にリソルジメント(統一)運動に活動した愛国家、アレッサンドロ・ガヴァッツィAlessandro Gavazziによる、ヴェネトのオーストリア政権下から独立するためのイタリア王国建国に向けての大演説のあったことから『トリオンフィTrifonfi(勝利の)広場』へ。

そしてその同時期、ローマ教皇の名を冠した『ピオ4世Pio IX(ローマ法王ピウス9世)広場』などとも。ただし、同教皇は、北イタリアを支配していたオーストリア帝国を支持していたため、この名を同広場に命名したのは、教皇に対する反発と皮肉、そしてイタリア王国建国への歓びや意思を表していたのだと思われる。
建国後は一時、『イタリア統一広場Piazza Unità d'Italia』とも呼ばれたが、その後現名(元名?)に戻っている。もともと領主を畏敬しての名称であったからか、それぞれの時代のパドヴァの政治的要素の絡んだ名の遍歴を経ているようだ。

1500年代には、ここで馬上競技や、カーニヴァルの期間中に闘牛なども行われたとされている。

同広場は、東側をサン・クレメンテ教会Chiesa di S.Clemente、南西側はパラッツォ・カピタニオPalazzo del Capitanio、西側をこの広場のシンボルとなる時計塔(トッレ・デッロロッジョTorre dell’Orologio)に囲まれている。

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時計台の下のアーチをくぐると小広場(カピタニアート小広場)があり、ここがかつてのカッラーラ家の王宮となっていた場所。現在はこの場所にある建物はパドヴァ大学の文学部、哲学部のキャンパスとなっている。
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  1. Padova/パドヴァ
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パドヴァすごい

パドヴァの歴史・食べ物・生活・自然・etc。これだけ毎回、書けるのだからすごい。白濱さんも凄いが、町のポテンシャルもすごい。観光では、ベネチアに隠れてしまうけど、旅好きの私としては、ぶらりよりたい街です。ブログ楽しみにしています。
  1. 2011/07/22(Fri) 09:58:34 |
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  3. zzz #-
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Re: パドヴァすごい

zzzさま
こんにちは。毎日通りすがる場所を改めて調べると、おもしろい歴史や逸話があって、いろいろ再認識させられます。ぶらりと立ち寄っていただける日を心待ちにしております。
  1. 2011/07/22(Fri) 12:50:48 |
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  3. aki #-
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