パドヴァのとっておき。

北イタリア・ヴェネト州パドヴァより、料理や季節のおいしい情報を中心に、日々のできごとを綴ります。



パドヴァのサンタ・ルチア通り Via Santa Lucia :: 2011/08/24(Wed)

その昔、ザッテレ通りcontrada Zattereと呼ばれていた通り。ザッテレとは、ヴェネツィアのジュデッカ島を前にし面した河岸だが、ここは以前はヴェネツィアに続く運河が流れていたことからくる。

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パドヴァのチェントロ北側、鉄道駅から南下してチェントロ・ストーリコに入ったところ、目抜き通りのローマ通りVia Romaが始まったところからすぐに西にダンテ通りVia Danteまで続く、街中での風情のある通りのひとつ。
この通りからほど近くにあるサンタ・ルチア教会chiesa di S.Luciaは5世紀に建築された非常に古い教会。この通りの名はこの教会から冠されたもの。

ローマ通りから歩くと左側は古いポルティチ(柱廊)のある建物とそのポルティチの下に様々な商店やバール、エノテカなどが並んでいる。
そのポルティチの途中、何本かは南に向かう路があり、そこはチェントロのピアッツァ(広場)に続く通りであるが、その一角、つたに覆われた建物が目をひく。

この通りを現在趣あるものにしている一角。アンティークな壁とアーチ状の造りを含んだここは、12世紀のパドヴァを統治し暴君として知られるエッツェリーノ3世・ダ・ロマーノEzzelino III da Romano、彼の忠臣であるフェデリーコ2世federico IIの居住していた場所。
アーチ状となった部分から延びる路はフルッタ広場Piazza delle Fruttaに続く。

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見て解る歴史を感じさせるこの建物の壁には碑板が埋め込まれているが、これは1944年8月17日のナチファシズム(ファシズム)による暴力を追悼する記念碑。当時のナチファシズム体制への抵抗をしたパルティジャーノ(パルチザン)であった10名のパドヴァーニがここで絞殺されている。

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同建物の南側に位置する大きな広場(現在は駐車場の広場となっているが)はインスレツィオーネ(反乱・暴動)広場Piazza Insurrezione。大きな広場を角ばった大型の建物が囲む、ファシズム的空間はおそらくパドヴァチェントロでも唯一か。

この付近は残酷な虐殺劇を繰り広げた暴領主に由来してなのかどうなのか、力を持って政治的近代化を図った当時の時代・政治背景の影響の名残を残す。現在はその当時の血なま臭い様相などみじんも残さず、静かなチェントロの通りのひとつとして存在する。

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初めまして

先月頃にこちらを見付けて以来、旅行気分で楽しみに読ませていただいております☆
素敵な写真と分かりやすい説明と今のイタリアが身近に感じられる素敵な文章に、心から「出逢えて良かった!」そして「ありがとう!」と言いたいです(^^)
  1. 2011/08/24(Wed) 20:17:54 |
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  3. とも #-
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Re: 初めまして

とも様
はじめまして。ブログ読んでくださって、ありがとうございます。お褒めのお言葉まで頂戴して恐縮です。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
  1. 2011/08/26(Fri) 14:04:39 |
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  3. aki #-
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